ここから先は文章の本質が読み取れる人だけ読んでね。変な誤解を与えたくない…。
読み書き計算が出来ないと大人になって困るのは明らか。しかし、ほとんどの仕事において方程式が解けなくても何一つ問題ない。ほとんどの仕事において三平方の定理やオームの法則、フレミングの法則が全く使えなくても立派に勤めあげることができる。歴史の用語や理科の用語やらも一流企業に就職した大人たちでさえ実社会で「暗記しておいて良かった」という用語はほとんど無いだろう。ましてAIの時代に西暦1858年の安政5年に日米修好通商条約が結ばれて…などと暗記したところでAIの蓄積容量や引き出しスピードに人間が勝てるわけもなく勝つ必要もない。興味のある分野は没頭していつの間にか覚えていてテストも出来るというのが自然な姿。例えば将来、宇宙開発の仕事に携わりたい人が人形浄瑠璃を広めた人物や見返り美人図を描いた人物の名前など別に覚えたいと思わないのが普通。覚えたところで宇宙開発には1ミリも役立たない。だから、明確に自分には暗記する必要がないと思うものは無理に覚えなくても自分が望む仕事さえ将来できるのであれば、問題ないだろう。でもどうだろう。もしどこかの優良企業に就職したい場合、学歴が問われる。覚えたくもない事も膨大にあっただろうに、それを自分の青春をどのくらいか犠牲にしてまで暗記したり勉強して学力を伸ばしたスキルは会社でも活かしてくれるということで採用に繋がる。日本においてはそう見てくれる。そう評価されることが多い。覚えたくもないことを、やりたいゲームやカードゲーム、マンガや遊びの時間まで犠牲にして覚えることで難関大に受かると周囲にいる人間のレベル、水準が上がる。周りの人間の、口から出てくる言葉がそこら辺にいる人間と違ってくる。社会の見方やものの考え方も感心するような人間に会える確率が明らかに高くなる。そういう人間と出会えることで仕事で成功したり稼げるチャンスも大きくなるメリットはある。一流企業に入るにはコスパがいい。
歴史も確かに暗記科目かも知れないが、日本や世界で起きてきたことである出来事と次の出来事には因果関係がある。部分的に学んでから後で時系列を追っていくと面白い科目でもある。他の科目でもここさえ分かってしまえばあとは組合せなんだなって分かってきたりする。それが普遍的な学びになって資格試験などにも応用できるようになったりしてくる。
自分にとって興味の無い所も勉強して出来るようにする→テストの問題が解ける→受験可能な学校や大学が増える→難関大に受かる→出会うはずの無かった神同世代に会える→周りから評価される、という人生を歩めるのが社会に出てからほとんど使わない勉強を頑張って得られる人生。それをスルーして「あなたは学生時代、何を頑張ったの?」と言われて「部活だけ」って答えるしかない人生だと就職も厳しい。知識が乏しく話が合わない人がいたら、自然に勝手にその人から離れていく。「こんな事も知らないのか」「こんな事もすぐに覚えられないのか」って思われた瞬間、こいつとは仕事したくない、こいつとビジネスを語り合うようなことはしたくない、こいつから吸収できることは何もないって思われる。
全然興味が無いことをどこまで学んで身に着けるか、今やりたいことをどのくらいやるのかは自分次第。嫌いな科目があって、その嫌いな科目を勉強する意義が見いだせないなら基礎だけ頑張ればいい。中学なら基礎は身に着けていないと高校で赤点を取ってしまう。高校生なら義務教育ではないからその科目から1回離れてみるのもいい。ただあとで東大京大早稲田慶應上智などに合格したいってなっても時すでに遅しとなる。でも知ったことではない。自分で決めること。或いは大人たちに相談したりしながら最終的に自分が決めること。
自分は将来プロの○○になるためにあの高校に行く。あの高校に行くためなら理科のここは勉強しなくても自分は受かるからやりませんってハッキリ言ってくれたほうがやりやすい。でもこういうことはちゃんと親にも言っておいたほうがいい。また、中間テストで500点満点取ってみたいなら言ってくれればそれに必要なやり方をやる。ここはそんな考えの塾。